×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

伴性エモーション


迷子の犬

透が局のかかりつけの病院に緊急搬送されて、どれくらいの月日が経ったのか、と、桜一朗はふと思った。
いや、実際はそんなに昔のことではない。
そのはずなのに、やたら自分の中の記憶があの時のイメージを頭の中でモザイク処理を施したがるようだ。
思い出せないほど昔のことのような錯覚に陥る。

綺麗に色素の抜けきった金髪に、お気に入り らしい白いシャツ。今月何度目かの御披露目の穿き古したサルエル。底の平たいスニーカー。
全てが全て、赤黒く、びっしょりと、まるで海からあがったように。
比喩ならいくらでも頭に浮かんだ。
透自身の血なのか、はたまた相手の血なのか、それは透にしかわからないのだろう。
とにかくどろりとした液体に塗れて、透はここに担ぎ込まれた。
そしてあっさりと集中治療室なんて場所に連れて行かれ、帰ってきた時にはこの姿だ。
体中からコードやら、使途のわからない管やら機械やらをたくさん繋がれて、白いシーツに静かに沈んで、呼吸すら機械に頼っていた。
その姿を見た時、まさに言葉通り、膝から崩れ落ちた。足が震えた。言葉が凍った。
あれから何度、名前を読んでも、透は答えない。


ごめんな、守ってやれなくて。とか、無茶しすぎだ馬鹿野郎。とか、色々言いたいことはあったが、それは心の底にしまいこんだ。
今言ったって独り言になるだけだ。
お前が起きたら飽きるほど言ってやる。
それから、桜一朗はただひたすら、透の目覚めを待った。
そしてたまには透に話しかけるようになった。
今日統制局であったこと、面白い出来事、ごく普通に、取り留めもないことを、いつものように。
だがいっこうに、透の目は開かない。
顔馴染みのマスターたちがたまに様子を見に来て体を心配してくれたが、桜一朗は苦笑でそれをかわすだけだった。
透のそばを、出来る限り離れたくなかった。

「ほら、こいつっていつも突然何かしだすだろ?だから、いつ起きるかわかんないんだよ」
「…………桜一朗さん」
「大丈夫だって、今はちょっと返事する元気ないみたいなんだわ。だから、もう少し寝たら、元気になるからさ」

何かを言いかけて、ぐっと堪えたような表情のマスターたちは、桜一朗へと食糧や飲み物、お菓子を贈ると、そっと病室を後にしていった。


「お、蒸しパンある。トオルー、蒸しパンもらったぞー、ってこれ蒸しケーキか……まあ同じようなもんだな」

それを見送った桜一朗は、残された土産たちを広げ感心した声を漏らしていた。
透の好きなものと知って買ってきたのかは分からないが、何しろ透が居ないとなかなか自分一人では目にしないものだ。
少し懐かしくすら思えた。

「賞味期限はー……お、結構持つ。意外」

なんてひとりごとも、白い病室に浮かんで消えた。
桜一朗は、ふと、透の横たわるベッドに腕を預け頭を垂れた。
この手を握り返しては来ないことが分かっているのに、透の手のひらを、そっとなぞる。

「なあ、お前の寝顔もう見飽きたよ。笑った顔、見せてくれよ。あ、ちょっと拗ねてる顔でもいいな。そんで驚いてアホ面してる時の顔も見たい。なあ、透」

そして手を今度は額から頬にかけて優しく滑らせる。
決して温かいとは言えない温度をたたえた頬に、ふと背筋が寒くなる。
首を触った。
大丈夫、脈はある。
当たり前のことのはずが、桜一朗は大袈裟なほどに胸を撫で下ろしていた。

ふと怖くなる。
透がこのまま意識を取り戻すことなく、眠りについてしまったら。
また、意識を取り戻すのが何年も何年も先のことになってしまって、その頃には腕も足も、まるで頼りなく細くなってしまっていたらと。


「透……透、透」

名前をひたすら呼んだ。
お前は透明になりたいとこの名前を選んだんだと言っていたが、俺にまで見えなくなってどうする、帰って来い。
自分の声が、自分でも驚くくらいに弱々しく病室に響いた。

駄目だ、人前では幾らでも強がれるのに。
不安と寂しさが急に束になって襲いかかってきた。



「俺はここに居る、居るから、」

いや、居るのに、と言ったほうが正しいのだろうか。



透は、相変わらず目を開けない。

透死にかけすぎてないか。