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伴性エモーション


放置禁忌

無機質すぎる真っ白な扉の前に立ち、こんこんと、ノックを2回鳴らす。
部屋の主から返事が帰ってこないことは分かっている。
その居心地の悪い静寂に、少しだけ視線をうつむき加減に泳がせてから、意を決したように桜一朗は扉を開けた。


「透ー……って、はは、そうだよな。寝てるよな」


先ほど自分がしたはずのノックも、今かけた言葉も聞こえていない、部屋の中のベッドでなにやら妙な機械に繋がれすやすや眠る、自分のグール。
余り、見ていたいものではない。
これは自分がやったことなのだ。


桜一朗の担当するグール、日比谷透は、自らのもつ衝動に従順だ。従順すぎるほどだ。
自分がしたいこと、やりたいことには我慢も後回しもできない。
もっぱらそれは日常生活にも表れているようだが、桜一朗が目の当たりにするその衝動に従い動く透は、大概が大概、人を殺す。
自らの目に写った人間を、その行動や振舞いを端的かつ瞬時に悪と認識し、暴力で押さえつけ、殺すのだ。
透自身は殺したくて殺しているのではない。
相手が悪だから殺している。
悪を放っておけないのだ。正義感が強くどうのこうのというわけではなく、今殺すことを、我慢できない。

ここまで理解するのに、ペアを組んでからも少し時間がかかったのを、ふっと桜一朗は思い出した。
今回もそうだったのだ。
久しぶりの、仕事がない日曜。二人で連れだって、珍しくまだ明るいうちから外を歩いていたときのこと。
道路を挟んで向かい側、数人の男がばか笑いしながら道行く女性に付きまとっている。
彼女の顔は嫌悪を露わにしているがそれを取り巻く男たちはしつこくしつこく声をかけ続ける。
傍から見てもおかしな光景であった。
しかし周りは知らん顔を通し、その横を通り過ぎていき、おまけに道をさっと避けていく。
その少し危うい雰囲気に、桜一朗は遠くから眉を潜めていた。
折角の休日にまで見たいもんじゃないな、なんて誤魔化しながら透の手を引き桜一朗が背を向けようとしたとき、頭上からぽつりと声が降ってきた。



「悪いやつ、いたね、ね、やっつけなきゃ、ね」


周りが静かでなければ聞こえるか聞こえないかわからないくらいの小さな声で、透は光を失った目をしてつぶやいていた。
その瞬間だった。


「透!」


車道に飛び出し、道行く人を押しのけて、好奇の目を向けられながら駆けていった透を止めるには、こうするしかなかった。






「透、ごめんなー、痛かったか?」


桜一朗はベッドの傍らに置いた椅子に腰掛け、目を閉じたままベッドに静かに横たわる透の金髪をそっと整える。
あまり詳しくはわからないが、容体は安定してることを透に繋がっているテレビのような機械は告げていた。
そのコードの先を視線で辿ると、質素で地味な病院着には不釣り合いな、大きな白と黒の首輪が桜一朗の目を引く。
往来の中で、ナンパ集団に向かってポケットから取り出した刃物をなんのためらいもなく振り下ろす。そんな光景を町中で晒していいわけがない。そうすぐに判断した桜一朗は、自分が気付くより先にこの首輪に牙を剥くよう指示を下していた。
一瞬のことだった。
透が驚いたように目を見開いて、バチッという音と共に、地に倒れたあの光景を、桜一朗は今もしっかりと思い出せる。


「透ー、考えてみたらさ、お前の好きなもの、俺まだよく知らないんだよな。蒸しパンしか知らないんだよ。だから今日は蒸しパンしか買って来なかったんだけど、食う?……つっても、起きないかな」
「…………んー……むしぱん……」
「お、起きた。おはよう透」
「……おーいちろ……ここどこ?」
「病院」


ぼうっと天井を見上げて、びょーいん、とまるで不器用なオウムのように正直に自分の言葉を繰り返す透はまるで単純な機械じかけの人形のようで、桜一朗はすこしだけ眉をひそめた。


「透?大丈夫か?」
「大丈夫?ん、大丈夫だよ、桜一朗は?」
「え、俺?……はは、俺はべつにどうもしてないさ」
「そっかあ」


その言葉を聞いて、はじめて透は嬉しそうに笑った。
真っ白なシーツの敷かれたベッドに沈む体のわりに、すごく無邪気で、眩しいまでの笑顔だった。
この顔が、悪を前にしたときあんなにも冷徹に変わる。それこそ機械のように。
しかし今目の前に居るのは、歳に似合わずも無邪気に笑う、金の髪の子犬のような子供だ。
その笑顔につられてか緊張が解れてか桜一朗がふと笑うと、そのとき透は桜一朗の背後、窓の外を見つめていた。


「透?どうした?」
「……」
「……透……?」


問いかけにも答えず、透は窓の外にふよふよと視線を泳がせている。
透の行動にはまだいまいちついていけない。
桜一朗は視線を遮ってやらないように、そっと後ろを振り返ると、窓の外では背の高い木が枝を伸ばし葉を揺らし、鳥が止まり羽を休め、蝶がこちらに入ってきたいというように窓際をふらふらと彷徨っている。
特に目を奪われるような不思議そうなところはない。


「外が、どうかしたか?」
「ちょうちょ」


噛み合っていない会話をよそに、その瞬間透は勢い良く掛け布団を蹴り飛ばしベッドから飛び起きた。


「とおっ……!?おい、透、何して……!」


突然のことに桜一朗はすこしだけ固まって動けなかった。
あの電撃を受けたグールはいくら頑丈でも二、三日は動けないはずだ。
それが病院に連れて来られて一日半で、布団を蹴り飛ばして跳ね起きるなど、桜一朗は信じられなかった。
しかも透は、自分の腕に刺さる点滴の針やそのチューブを全く気にすることもなく、点滴台を倒しそうになりながら、手足に付けられたバイタルを観察するためのケーブルを乱暴に取り払い、まっすぐ窓へと進んでいった。
包帯やテープで固定されていた点滴針はその挙動の大きさのあまり大きく捻れ、透の腕を鋭く抉り、血を包帯に滲ませている。
その長い腕を伸ばして窓を勢い良く開け放ち、裸足のまま窓縁に身を乗り出した透を目に写した時、そこで硬直の解けた桜一朗は慌てて透を制した。


「馬鹿!何してんだ!」


自分よりふた周りほど縦に大きな体を、押さえ込むように抱え窓から引き離す。
体は確かに大きいが、見た目から想像されるよりも軽い。
その事実には、いまさら大きく驚きはしない。
透がどんな環境で育ってきたか、桜一朗は知っているからだ。
あっけなく透は窓からよたよたと引きずられるように離れ、ただ桜一朗が窓を勢いよく閉めるのをぽかんとした顔で見ていた。
桜一朗が深く深く、ため息を付いてすこし厳しいまなざしで透を見つめ、いつもより少し声を荒げた。


「あのなあ透、ここ一応建物の上なんだぞ?」
「うん」
「うん、って……今お前は窓から飛び出そうとしたんだろ?ここから普通に飛び降りたら、危ない、って分かるか?」
「……うん……」


まるでそれがどうしたのだとでも言いたげに、少し首をかしげてまた頷き返す透の真意を、桜一朗は掴みかねていた。
悪いことが悪いとわからない。
それに加え、彼が動く時には必ずしもそこに「理由」は伴わない。
何故怒られているのかわからない、何故そんなことをしたのかの理由はそこまで明確ではない。
だから透はこんなにも不思議そうに、不安そうにこちらを見つめてくるのだ。
叱りつけるつもりはない。
だが、どうしてこんなことをするのか、その訳が知りたかった。
桜一朗は、所在なさげに泳ぐ視線の元、透のごろんとした大きな目を覗き込むように透を見上げた。


「何があったんだ?どうしていきなり窓の外になんか」
「……桜一朗、に、あげようと思って」
「……俺に?」


透が、その言葉を待っていたかのように、こくんと力強く頷く。


「ちょうちょ、をね、俺、なかなか桜一朗の役に立ちたいんだけど、いつもこうやって迷惑かけるから、ごめんねって、だから、そこにちょうちょが飛んでて、それで」


いつもよりもめちゃくちゃな言葉運びで、でも必死に桜一朗に語りかけてくる透の目は真剣そのものだった。

窓の外を漂うように飛んでいた蝶を捕まえて、渡したかったのだと。
蝶を追うのは得意だから、捕まえようと思ったのだと。
そして、自分の好きなものを渡して喜んでもらおうとしたのだと。
ここが建物の上層で、落ちれば怪我では済まない高さにあることは頭にない、ただ今捕まえなければ逃げられてしまうんじゃないかと、そう思ったのだと。

どうにか言葉を聞き繋いで解釈した桜一朗は、唖然とした。


「…………はあ、お前は本当に、その……変わってるな」
「う、うん」
「そうかそうか。まあ、蝶は逃げたけど、その気持ちだけは受け取っておくよ」
「気持ち……?」
「あー、だから、ありがとうってこと」


ありがとう。
その言葉を告げた途端、透は元々ぎょろりとしている目をより一層見開いて、瞬きを数回繰り返した。
まるで心底驚いているような、そんな表情だった。
そしてそのあと、無い眉を頼りなさげに下げて、安心したような顔で、笑った。




そうか、こいつは、これが聞きたかったのか。

桜一朗は、そうストンと納得すると、すぐに照れくさいのを隠すように透の腕に滲む血と、ベッドの周囲に散乱したコードや布団、シーツに目をやった。


「あーあ、おかげで随分散らかっちまったなあ。点滴も……やりなおしかな、こりゃ」
「いらないよ?俺、もう平気だよ?」
「んなわけあるかよ。せめて一日ぐらいは安静にしてろよ」


桜一朗は、透の頭をくしゃりと撫でる。
異変に気付いたナースたちが、警戒し、怯えながらも近づいてくる足音が聞こえる。
ふと透を見て、悪戯めかした言い方で桜一朗は言葉を続けた。


「いや、でもなあ。透は起きてると何すっかわかんないからなあ。そうだ、よく眠れる注射でもしてもらうか?」
「えっ!注射!注射やだよ!」
「はは、子供か」


そう言いながら、透をベッドに押し戻した桜一朗は溜息を付きながら、ベッドの脇の、先ほど座っていた小さな丸椅子に腰を掛けた。


「しばらくここに居てやるよ」
「ほんと?」
「ああ。蒸しパン食うぞー、蒸しパン」
「うん!」




これはふたりがであってまもないころのはなし。


透のマスターさんが決まったら書きたいと思っていたお話でした。